セドリック(130型)とはどんなクルマ…?

日産の高級車として、1960年から2004年秋まで名前が続いた、セドリック。
その名前はF.H.バーネットの名作、「小公子」の主人公から名づけられたといわれています。

セドリック130型は1965年10月から1971年1月まで生産されたモデル。2代目に当たります。
「フローイングライン」と名付けられたボディデザインは、先に登場した(1963年)ブルーバード410系と共に
イタリアの有名デザイン工房・ピニンファリナのものと言われています。
発売当初は公式にはアナウンスされず、社内でも極秘に進められたといわれています。(最近になってからようやく公になりました)
当時世界のトップデザイナーに外注するということで、デザインの手法など、日産の会社自体にも大きな影響を与えたようです。
ところが当時のユーザーには不評で、その後1年ごとにマイナーチェンジを繰り返し、1968年9月にはビッグマイナーチェンジを行いました。
これにより、ほとんど別の車ではないかというくらいに変わりました。
おそらく、同一形式でこれだけ変化したクルマは他に例がないのではないでしょうか。(しかも、「131」のように枝番にもなりませんでした)

ちなみに、2代目セドリックを開発するに当たり、デザインは日産社内でも検討されていました。
ところが、急きょ本デザインをピニンファリーナのものに変更することになったため、社内デザインは初代セドリックから派生した「セドリックスペシャル(50系)」を発展させて
別車種としたプレジデント(150系)にリサイズの上使用されました。(「スペシャル」の名前はセドリックの最上級グレードの「スペシャル6」に受け継がれました)

130型は、1971年2月に次の230型にフルモデルチェンジし、グロリア(それまでA30系、いわゆるタテグロです)と兄弟車となりました。


130型セドリックは以降日産のスタンダードエンジンとも言える1998cc・OHC・直列6気筒のL20型エンジンを最初に積んだ車です。
L20型エンジンは、もともと先に開発が進んでいたL13型(1298cc)をトヨタのM型エンジン(クラウン用 1988cc・OHC・直列6気筒)の登場に対抗して
先行開発したエンジンで、日産初のOHCエンジンでした。
バルブ駆動方法など、設計についてはダイムラー・ベンツ社(当時)のエンジンを参考にしたといわれます。
L20型の完成に続き、前述のL13型をはじめ、L14・L16・L18・L24・L26・L28というシリーズを作っていきました。
その後、日産のスタンダードエンジンとして、スカイライン・フェアレディ・ローレル・ブルーバードという数々の車に使われました。
チューニングベースとしても多用され、3.1リッターフルチューンエンジンなども出てきたのはよく知られるところです。
L20はその後改良され、L20A型となりました。セドリック130では最終型である「後期の後期」にこれが積まれました。いわゆるL20型はこちらをさす事が多いです。
従来型のL20型と、新しいL20A型とは周辺機器の取り回しが異なり、全長もL20A型のほうがわずか長くなります。互換性はほとんどありません。
ほかに、J20型
OHV 直6 1973cc)、H20型(OHV直4 1982cc)、SD20型(OHV直4ディーゼル 1991cc)といったエンジンがグレードにより積まれました。

ボディスタイルはセダン、ワゴン、バンの3種類。(ワゴンとバンは基本的には形状は同じですが、年式によっては開口部など若干異なるのであえて分けました)
一般市販車としては5ナンバーサイズのみとなりました。(歴代セドリックとしてはこのモデルだけ)
ハードトップは次世代の230にならないと出てきません。130型のモデル後半になってからはライバルのクラウンが50系にモデルチェンジして2ドアハードトップを出し、
「白いクラウン」としてパーソナルカー路線を打ち出したものになりましたが、対する130型は旧さが目立つものになってしまいました。
最終型になってから「高級車を気楽に乗り回すのが新しいやり方・ON THE CEDRIC」または「ON THE CEDRIC さあお乗りください!」
キャッチフレーズを作り、「白いセダン」を前面に出したものの苦しい展開でした。
なお、三角窓は先代セドリックの逆台形のタイプとは違い、一般的な形状をしています。 前期型のセダンボディはリアの三角窓も開閉します。
三角窓のロック形状は年式に応じて3タイプ変化し、次世代の230型には廃止されました。


一般用途としては社用車、自家用車、タクシーなどの営業用車など各所で活躍しました。
特記すべきなのはパトロールと呼ばれるグレード。いわゆるパトロールカー仕様です。
各年代での説明ではあえていたしませんが、これもプレジデント用のH30エンジン(2974cc・OHV・6気筒)を積んだ仕様でした。
資料は確認していませんが、警察用としてY130ベースの3ナンバー車が存在していたようです。(通常のパトロールカーは8ナンバーです)
一般発売車では歴代セドリックで唯一3ナンバー車が存在しなかったと言われる130型ですが、沖縄仕様や輸出用にL24搭載車が存在していました。
130型セドリックが発売されていた時代の沖縄は、まだ日本に返還されておらずアメリカ合衆国の統治下にありましたので右側通行でした。
よって沖縄仕様の130型セドリックは左ハンドルとなり、エンジンはH20またはL24を積んだものがあったようです。

「大都会」など、当時の刑事ドラマでもよく出演しております。結構壊されていますが…(>_<)
最初のグループ製造後40年を経過し、セドリック130型の現存車はかなり少なくなっています。
その中でも、車としての完成度はやはり最終型が高く、前期型の現存車はさらに少ないのが現状のところです。


2代目セドリック・130型を総括してみると、ヨーロッパの有名デザイン工房に依頼したデザインが国内で受け入れられず、販売が苦戦し、
1年ごとのマイナーチェンジと大きなビックマイナーチェンジで巻き返しを図ったものの、めまぐるしい変更で混乱したモデルと言えます。
加えて1966年のプリンスとの合併により、5ナンバーフルサイズのフラッグシップがセドリックとグロリアの2種類になったしまい、次のモデルをどうするか
日産は大きな決断を迫られました。両者を兄弟車種・230型にすることで、トヨタのクラウンという対抗馬に最初の最後の勝利を収めました。
その230型へつなぐための過渡期に当たる存在だったように思います。(事実、初代30系と3代目230型とは相当の進化が見られますよね)


<年式によるグループ分け>

ビッグマイナーチェンジを境に、前のグループを前期型、後のグループを後期型と呼んでいます。
さらに、前期型をマイナーチェンジ毎に3タイプに細分化し、「前期の前期(最初期型)」・「前期の中期」・「前期の後期」と呼んでいます。
後期型と呼ばれるビッグマイナーチェンジ後のグループは、「後期の前期」・「後期の後期(最終型)」と2タイプに分けることが出来ます。

各グループの発売時期は以下の通りです。
  
前期の前期(1965年10月〜1966年9月)
  前期の中期(1966年10月〜1967年9月)
  前期の後期(1967年10月〜1968年8月)

  
後期の前期(1968年9月〜1969年9月)
  後期の後期(1969年10月〜1971年1月)

   ※この分類方法はセドリック130オーナーズクラブで定着しました。必ずしも一般的な呼び方とは言えませんが…


<主な仕様>

<外寸> 全長4680mm 全幅 1690mm 全高 1455mm ホイールベース 2690mm (前期の前期スペシャル6)

<重量> 車両重量 1290kg(スペシャル6・前期の前期)
          
車両重量 1360kg(ワゴン6・後期の後期)

<性能> 最高速度 160km/h(スペシャル6・前期の前期)
       
  最高速度 170km/h(スペシャル6GL・後期の後期)

<形式>

  130  2代目セドリックの形式 初代セドリック(30型)の次のモデルの意味。この前後に記号がついてグレードをあらわします。
  ☆前に付く記号 エンジン形式、ボディ形式を表現 ボディ形式はエンジン形式のさらに前に付きます。(例:WH130)
    H  L20エンジン搭載車
    P  J20エンジン搭載車
    Q  SD20エンジン搭載車
    記号なし H20エンジン搭載車

    W  ワゴンボディ
    V  バンボディ
    L  左ハンドル車(沖縄仕様等。沖縄は1972年の日本返還まで右側通行だったのです)
    Y  パトロールカー(H30エンジン搭載車)
  ☆後ろに付く記号 グレードを表現 具体的には多くて割愛させていただきます。年式によっても一定してません。各年式解説もご参照ください。


<モータースポーツにも出たセドリック>

 当時最もメジャーなラリーのひとつ、サファリラリーに先代の31型セドリックに続いて出場しています。
 今から考えると5ナンバーフルサイズのセドリックが出場していたとは驚きですが、1967年には総合17位、1968年には総合5位に入賞しています。
その後ブルーバード510に出場権は渡しましたが、サポートカーとしてワゴンはその後も活躍しています。

1967年戦績> H130 5台 総合17、20、21位 (以下はドライバー/ナビゲーター。1968年も同じ)
  E.G.ハーマン/G.エルバス
   J.グリンリー/E.バース
   J.エアード/R.ヒリアー
   Mr.カードウェル/Mrs.カードウェル
   R.モクリッジ/J.エスノフ


<1968年戦績> H130 4台 H130 2台完走 総合5、7位
  J.シン/B.スミス
   J.グリンリー/T.サミエル
   J.サンダース/H.ピートリング
   Mrs.カードウェル/G.デービス

 ちなみに、Mrs.カードウェルは当時珍しい女性ドライバーでした。(Mrs.カードウェル/G.デービスは女性同士のチームでした)


 国内では当時アメリカを模して行われていたストックカーレースで活躍しました。
特に、鈴木誠一氏がドライバーした東名自動車(現東名パワード)チームは無敵を誇りました。
 プレジデント用のH30エンジン(2974cc・OHV)にソレックス・キャブレターを3連装、一部は旧セドリック・スペシャル(50系)のK型エンジン(2825cc・OHV)をボアアップして積んでいたそうです。
 一説には、H30エンジンは船舶用のH30Mが裏技?として使われたこともあったそうです。


参考文献・「オールドタイマー」各誌(八重洲出版)
       「ノスタルジックヒーロー」各誌(芸文社)
       「J's Tipo」各誌・増刊号(ネコ・パブリッシング)
       「モーターファン」別冊「新型セドリック・グロリアのすべて」(三栄書房)
       「ブルーバード物語」碇 義朗著(光人社)
       「ニッサン セドリック/グロリア」(三樹書房)
       各年代カタログ、サービス週報、他いろいろ

協力(ありがとうございました!):こばんさん 永田さんはじめ セドリック130オーナーズクラブの皆さん 
                     写真を提供していただいた皆さん
                     深くお礼申し上げます。m(__)m

間違いがあるかもしれません。ご指摘は謹んで受けますので。(^_^;)